家づくりの考え方


 家づくり、それはとても大きなお金の動く、一生に一度かも知れない重大なイベント。仕事と家庭の拠点をその場所に定めることも意味する人生の分岐点。 「私たちはここで暮らすよ。ここで子育てをするよ。」そこに住もうとする人・家族の生き方の表現の一種なのかもしれません。

 

 東証1部の量産ハウスメーカーを飛び出して、中身の見える家づくりに携わって20年近く。 量産メーカーは同じような住宅を反復し、車のように同じ精度で大量に作ることができる、という点では強みがあります。 でも、「大量に」ってあなたに大切なこと? そもそも同じような家を求めています? 選択肢を他に知らないからそんな家づくりに進もうと思っていません? せっかくなら希望を反映してせっかくの住み心地の良い木の家作って欲しいと思いませんか?

 

 大量生産型住宅産業は、個々の住まい手の暮らしに踏み込んでデザインするには限界があると考えます。

なぜなら、個々に対応しすぎると多くの棟数を建てるための効率が落ちるから。 (その割に安くないという矛盾!)

 

 もっと家づくりには自由があってもいいはずですよね。だって、自分の家なのですから。 家づくりの船頭として、あるいは先輩としてこれから家を建てたい方々のいろいろなお手伝いができると思います。

 

 地に足が着いた仕事をしたいため一人でコツコツと、ここ浜松市北区細江町で自然素材を使った住宅を中心に設計しております。

 町医者的な意思疎通を図った上で、設計活動に取り組んでおります。 そのため、急な要望には応えられない可能性もあります。

 

 それが量産ハウスメーカーを飛び出し、一品生産の手作りの家づくりを志す私の信念。じっくり打ち合わせして、後悔しない家作りを希望する方の為の設計事務所です。  

 

家づくりに「また今度」は、なかなか無いですからね。


家づくりを楽しむ

「そろそろ30代だし・・・・」「子供が大きくなってきたし・・・」の枕詞のあとに、「マイホームを建てなくちゃ!」という義務感が伴う言葉が続くのは、どう考えても悲しい。 「マイホームを建てたいんです!(ドヤっ)」という人に会いたいのは、たくさんの依頼人の喜びの現場に立ち会ってきた私の正直な感想。

 

 「頭金も貯まったし・・・」、「アパートには飽きたし・・・」、「趣味の部屋を作りたいから・・・」「薪ストーブを楽しみたい」という前向きな理由で「家を建てたい!!」というのが、家族にとっても幸せな流れだというのが私の考え。  薪ストーブを取り入れてみたいというお客さんに良く出会います。きっといくつになっても心の奥底にある「男の子」の部分にヒットするんでしょうね。見積が出揃う前から薪集めをはじめ、「薪ストーブ止めますか」なんて私が言い出せなくなってしまう程の情熱を依頼人が見せてくださると私もより一層やる気が出るものです。これは実話です。

 

 こんなに楽しいことを自発的に取り組まないのは、実にもったいない話です。  他にもキッチンにとことん夢を反映させてみるお母さん。インターネット配線に興味のあるお兄ちゃん。自分の部屋の広さが気になって仕方ない子供たち。自分の居場所を心配しているであろうペット達。一軒の家に、いろんな夢をぶつけてみる。

 

 みんなの要求具合を微笑んで観察させて頂きながら、私はプランをいつも考えます。  実現の可能性には、とりあえず目をつぶって、まずは夢をどんどん広げましょう。考えるだけなら、無料ですからね。皆さんが抱えている思い入れ、隠さずに どんどん見せてください。大学ノートでもスケッチブックでも書き留めることが大切です。パソコンで清書してお行儀良くし過ぎるよりも、手書きでコーヒーの シミや子供の落書きがあるほうが私は魅力を感じます。流行っているからという理由では無く、自分達は何を求めているのか考えることが大切です。模範解答は無いのですから。


予算との折り合い

夢を広げるとは言っても、必ず予算の壁に突き当たる。この壁に突き当たることを恐れるがゆえに、夢を広げることに知らず知らずのうちに自分でブレーキを掛けてしまうのかもしれない。どんどん夢を広げるだけ広げてください。その後が、そろそろ私の出番です。 

 

 まずは、住まい手が家作りに何を求めているのか、私との打ち合わせで整理をしましょう。要望Aと要望Bは、類似のものかもしれない。または相反するものかもしれない。子供の小さい今のことばかり考えてもダメですよ、先のことも考えましょう。なんて指摘もします。

 

整理という、ふるいの中で残ったもの・・・それを大事にしたいですね。

 

 また、目線を変えて物事を見ることも重要なことです。ベニヤむき出しでも、それを仕上げと思うことで、立派な仕上げとなります。判断するのは、住まい手自身 なのですから、それは自分で決めればいいのです。左の写真の家の外壁は無塗装の杉板です。古くなり色が変わっていく様子を楽しむ事で私と依頼人の合意が得 られました。決断には勇気も伴います。だからこそ達成感が得られるのだと思います。

 

 さらに、目線を変えて将来のために未完成部分を残しておくという発想にも楽しみがあります。石膏ボードのままで引渡しとし、後で住まい手が、和紙を張ったり、ペンキを塗ったり・・・。明日の自分に宿題を与える、考えるだけでも楽しいではありませんか。

 

 スペインのバルセロナにある「聖家族教会(サクラダファミリア)」は、いつ見ても工事中です。それが人を引き付ける魅力の一つなのかもしれませんね。めんどくさい事を敢えてやってみる。苦労、悩み、克服それは、満足という金銭以上の価値だと思える日が来ることでしょう。

 ただしどんなに安くても、住まい手である人間・社会にダメージの多い材料の採用は当事務所では禁じ手です。必ず後悔する日が来ますから。その点ははっきりお伝えしています。


「同じ」を捨ててみる

 大手量産ハウスメーカーの目指すものは、効率化。細かい要望をすべて聞いていたら効率が下がる上に、間違い・クレームの元。 つまり、最大公約数的な家作りこそ、企業たるメーカーが利益を生む仕掛けです。それはそれで正しいことですし、株主も望むことですから必要な事です。ただ私の頭の中では、他人と同じ家を好まない、自分だけの家を求める少数派が居る事には薄々気が付いていました。

 

 家作りを思い立ったとき、誰もが何の疑いも無く住宅展示場を訪れる。それは、現在極めて一般的な流れですし、気に入ったものがあれば、それも悪くない選択肢の一つです。

 

 ただ問題は、気に入ったものが無かった場合それでも、その展示場の中から無理に、もしくは何となく決めてしまっている現状にあると私は考えています。多くの人は、住宅展示場の他にまだ、選択肢が残されていることを知らなすぎる!!ここに私は問題を感じます。

 

 一生におそらく一度であろう、家作りですから、私にとっては見ず知らずの他人でもぜひ楽しんで頂きたい。そんな人が増えることで、長期的には社会が建築 を審判する目が肥えてくると考えるからです。評価に値しない公共建築ができれば新聞の投稿欄で批評が出たり、市民の会話の中で歴史的建造物の保存問題が取 り上げられたり、社会の文化資産である建物に意識が向くのは歓迎すべき流れです。最近は、婦人雑誌でも随分住宅の記事が増えてきましたし、CASA  BRUTUSなど専門的な情報誌も増えています。この流れは確実に強くなります。いや、ならなくては日本の建築文化が廃れます。

 

 ここで、姿のはっきりしないブランドという虚像を捨ててみる勇気を持つことをお勧めします。ブランドを維持することにどれだけの費用が費やされているか、考えたことありますか?

 

 それでは、代わりに何を頼りにすればよいでしょうか? 肝心なのは、実際に現場で手を動かしている人間の技量だというのが私の持論。

 

 人間の手は正直です。大工の人件費を無理矢理下げれば、当然、その分仕事は雑になるに決まっています。ベニヤ一枚張るのにも、切り口にさっとサンドペーパーをかけるか、かけないかのその気遣いの有無が化粧仕上げの出来を左右します。